60代、70代になっても弛まぬ努力が大きな実を結んだ。好きこそものの上手なれ・・・だからこその結果でもある。
継続は力なり。
私自身への戒め。
大学を中退(厳密には中退扱いにもならない。カリキュラムの半分を満たさないとただの入学とだけ)
し、勤めを始めるよりもずっと以前から、、、、
小学校でサッカー少年団に所属していたが、中学では陸上部。高校でスキー、山岳、落研のかけもち。
どれも現在まで続くものはない。
仕事もそうだ。
大学を辞めてまで、、といっても、不謹慎だが、私の進学理由は「東京に住む」が最大の目的でした。
服飾関係の専門学校へ都内進学を希望したが叶わず。苦渋の選択で大学へ。
しかも、学校推薦枠を獲り入ったにも拘わらず3年進級直前に退学願提出。
(2年生の2月にアパレル会社への就職を決めて大急ぎで退学願いを出した。しかし、願いが受理されたの
は4月になり、事実を知らされていない母が年間の授業料を振り込んでから。私立大の経営学部ならではの
手腕の為せる技なのか・・・・)
専門学校がダメなら現場で学べとばかりに勘当ものの大騒ぎで勝手に就職した会社も5年で辞め・・・
釣りを最優先にするべく海外移住を画策。しかし、消費天国Tokyoで資金に行き詰まり、友人の紹介で
デザイン会社(ノベルティ製作やCG画面、HP製作など、、、その業界はその後バブルを迎えるが、、、)
に勤めるも、釣り暮らしの夢は消えず、新潟・魚沼の地へ移住。。
・・・・バカで自分に甘い私の半生はドコをとっても中途半端。
結婚を機に山梨へ戻ったバカ息子。良き伴侶に恵まれ、優れた仕事のパートナーにも助けられ、
何よりも、おおくの方に可愛がっていただいた店を自身の手腕の無さで足掛け15年で閉店。
現在のPIECE橘町に至る。
ぶどう畑は植物(生き物)相手、半端に投げ出すことは在り得ないと覚悟し携わるよになって3シーズンめ
スローフードの活動もままならない状況でも、仮にPIECEがなくなろうと、、、自身のおかれる立場は
変わろうと葡萄つくりは止めずに。
以前のカフェを閉める以外は自身のその先があるから進路変更をしていた。
小学生の頃から、誰に相談するでもなく独り決めていた。
唯一カフェ閉店時の理由に私自身の先の目的目標がなく決断した。
周りからは、勿体無いとか、よく閉める勇気が、、、とも言われたりもしたが、意地を張り続けるには
傷が大きすぎた。
葡萄を止めることなく・・・といのは、無責任な立場で関わっているからなのかも知れない。
専業農家で、何等かの理由(自然災害や原発被害もそう)で止めざるを得ない状況であれば
カフェを閉めた時と同じ様に退かなければいけない。
退き際の見極めは大切。
半端だけで終わる人生(もし、明日死んでしまったら半端のままだ)ではなく、芯も筋もあるカタチで
逝きたい。その為には、日々を丁寧に(今日この日は二度となく、この瞬間の出来事は今しか経験でき
ないことばかり)暮らす必要がある。
自身への戒め。
残された時間はそう多くはない。
posted by スローフード甲州 at 18:56|
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畑ヂカラ