2011年10月11日

7ヵ月



311から7ヵ月。

避難所閉鎖され、浸水した自宅へ戻る住民や、行き先が決まらないままの住民もあるとか。。

石巻での事。先だっての原発事故避難準備区域立ち入り解除措置もそうだが、誰の都合
でそうなるのか??

避難所から自宅へ戻ったからと言って仕事がある訳でもない。自宅が修繕された訳でもない。
ましてや、浸水し地盤沈下もある地域の半壊住居に戻る状況。
高齢者が地理的不便な仮設住宅へ移るケースもある。

また、東電は1号炉の低温安定状態が保たれつつあるというコメントを発表。
出来ないよりは確かによい。
現場で放射能リスク承知で働く人々も大勢ある。
けれど、2号機、3号機は建屋内に入れてないまま。

私一人が考えてもどうにも出来ない状況。
やるせない。
時折、いっそのこと、原子炉内作業に従事するか!と発作のごとく思う。

子供をもうけていない私の存在意義。
どーせ逝く時は独り。子も財産もなければ何も失うものはない。
せめて世の中の役に立てたというハッキリとした状況、感情を以て逝きたい。
ただ、こんな感情も一刻のこと。
そんな半端な自身が情けなくもあるし、自身の今までの生きてきた軌跡はそのまんま。

99才のお婆ちゃんが書いた詩に、今回の震災についてのものがある。
「何もかも流された津波。けれど心の津波にはのまれるな」とありとあらゆるものを失ったとしても
命ある限りは負けない強い心があればもう一度起き上れるということ。

被災地では随分勇気づけられた方がいる。
この半端者も、せめて生きてる価値があると自身で感じられるくらいはしんといけん。

明日から甲州収穫行きます。
posted by スローフード甲州 at 18:44| Comment(1) | 所感
この記事へのコメント
避難所の閉鎖については、今ではなんともコメントし難く...。
ボランティアに出向いている小学校の校庭は仮設住宅で埋めつくされ、一番カラダを動かさなくちゃいけない時期なのに、子供たちは校庭で遊ぶことができず、運動不足。ストレスがたまってイライラしがちな子供たちも。
今年入学の小学1年生はたぶん、学校の校庭で運動会を1度も経験することなく卒業してしまうのでは...。
体育館も最初の頃はあまり必要とされなかった援助物資で埋めつくされ使えずの状態。
言葉は悪いけれど、最近では、モノを与える援助は、仕事もなく、お金もない避難者たちに援助側がたかられているようだと。
「あなたたちは何をくれるの?」
本当に必要な援助は何なのか。
本当の復興とは何なのか。
今月、来月、あと2回、宮城まで行ってきます。
Posted by Yop at 2011年10月12日 21:01
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